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2017年6月25日 (日)

(番外編)小林 麻央 さん逝く~「生」と「死」について語ってみます。

美人薄命……。

この言葉、異常にしっくり来ると感じます。

小林麻央さんが6/22お亡くなりになりました。

さすがに報道各社が大きく取り上げましたね。
麻央さんについていろいろ言うには私は彼女のことを知っているわけではないので
他の方にお任せするとして、
クソ真面目に「生」と「死」について述べてみたいと思います。

麻央さんは2016年に乳がん闘病中であることが発表されましたが、
告知時ですでに遠隔転移あり、すでにステージⅣ、
その一方で乳房の保存を選択した(あるいは全摘の有用性が薄いとされた)と言われていました。

私は報道を聞いた瞬間正直、「あ、ダメだ」と思いました。

ステージⅡ(Ⅲに近い)とされ乳房の全摘を決断、
現在テレビに復帰を果たしている北斗晶さんとついつい比べてしまいます。

病状そのものはもちろんのこと、
ちょっとの決断の早さや決断の内容の違いで大きく異なってしまうのは、
運命の恐ろしさ・残酷さを感じさせます。

麻央さんについて多くの人が「治る」という奇跡を信じたかもしれません。
しかし、麻央さんに限った話ではありませんが、
奇跡はほとんど起こらないから奇跡というのであって、
現実はそんな甘いもんじゃない、
無理に抗い続けるとただただツラいだけでその割には良い結果が出ず、
ということは良くあります。
私は、眼前にある厳しい現実を受け入れてその中で生活の質を可能な限り保つ、
という考えの方が、実は大事ではないかと思います。

どんな生物もやがては死にます。
人間の平均寿命が延びつづけている現代でもその真理からは逃れられません。

私は仕事柄、多くの方々の生活、時には生と死にも向き合いますが、
人は、結局は非情な現実を受け止めて生きることになる、
という結果になることが多く、
だからこそ多くの人には後悔の無い人生の選択をしてほしいと思っています。

麻央さんは自宅で旅立たれました。
恐らくではありますが、麻央さんも結局は最後の時を家族で過ごすという選択をし、
一番いい形で旅立ったのではないでしょうか。

さて、何故病院で過ごさなかったんだろうか、という方々はどのくらいいるでしょうか?

人の生死が現実のものとなってきたとき、
人間というのは勝手なもので、
その現実から少しでも目を背けたい、とか
病人と最後の時を一緒に過ごすのは家族の方がツラい、とか
そもそもこんな状態の病人を家に帰せるか!などなどという理由で、
現在でも病人が病院で患者が最後を迎えるケースは非常に多いです。
それはそれで結構。
この麻央さんのケースのように、
病人を支える環境的な準備と患者を支える人たちの覚悟があれば、
病人は自宅で最期を迎えることはできます。
「病院でも自宅でも、どちらでもお好みでどうぞ」と申し上げたいですね。

ただし、支える人たち自身がツラいから、というのって、
一歩間違えると意外に勝手なものであり、
病人を孤独にしてしまう論理であることは、
ぜひ意識していただきたいと思います。

読者の皆さん、このエントリーは相当纏まりに欠けて読みづらいと思った方がいらっしゃるでしょう。
この記事は、私なりにいろいろなことを考えましたので、
敢えて綺麗に纏めるのをやめることにしました。
乱文にお付き合いいただいたことにお詫びを申し上げるとともに、
御礼申し上げます。

最後に、マスゴミへ。

お前ら海老蔵さんが自分の口で話すまで数時間も待てなかったのか?

この件、フライング報道されたわけですが、
海老蔵さんはきっと自分の言葉で国民に伝えたかったでしょう。

お前ら空気読め

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