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2016年3月6日 - 2016年3月12日

2016年3月 7日 (月)

鉄道と認知症と介護業界の負のスパイラル~どう解決しましょうか?

うーん、なぜか本文に合うキレイなタイトルが思い浮かびませんが、今回はこれをテーマにしてみましょう。

認知症男性徘徊鉄道事故の最高裁判決です。

私は一介の鉄道ファン、特に新幹線ファンですが、少々こちらの分野も齧っており、記事にしてみたくなりました。少々長いですが、お付き合いのほどを。

事故・事件の概要をお浚いしましょう。

平成19年12月、愛知県大府市で認知症男性(当時91歳、要介護4)が徘徊をして列車にはねられ死亡、JR東海が列車運行に支障が出たとして、遺族に720万円の支払いを求めて提訴しました。

1審の名古屋地裁では妻に「目を離さないことを怠った」、長男に対しては、「適切な措置を取らなかった」としてJR東海の請求通り720万円の支払いを命じました。

2審の名古屋高裁では「長男は20年以上別居しており、監督者に該当しない」として妻の責任のみを認め359万円の支払いを命じています。

この他、
・妻は事故当時81歳、要介護1
・男は首都圏に在住し、介護の方針を決定していた
・長男の妻が本人宅近隣に転居して本人の介護をしていた
・本人に介護保険サービス利用させるなどの通常必要な措置を取っており、施設入所も検討したが、本人がさらに落ち着かなくなること、家族の協力で在宅生活はまだできると考えられたこと、特別養護老人ホーム待機の問題があることが協議された

など、いろいろ考えられていたという情報があります。
その末に在宅生活を継続、その結果起こった事故であるというわけです。

最高裁の判決は、このケースは家族側は免責されるということで、JR東海に対して賠償をしなくてよいとの結果、つまり家族側の逆転勝訴となったわけです。

評価できるのは、、「同居の夫婦だからといって直ちに監督義務者になるわけではなく、介護の実態を総合考慮して責任を判断すべきだ」ということ、長男を事実上の監督義務者にあたるが通常必要な措置を取っている、とした点や、だからと言ってすべての類似ケースで無条件で免責されるわけではないぞ、とした点です。

だからと言って私が逆にJR東海が泣き寝入りするというのも良しとしているわけではありません。訴えをおこした当時のJR東海の言い分もわからないわけではないです。
ただ、JR東海を含め、読者の方々に改めてご認識いただきたいのは、

認知症の人、ナメてはいけません。行動は予測不能です

ということです。

数秒目を離しただけでスッ転んだり、異食したりします。
そもそも、24時間全く目を離さずにというのは、人間はおろか、機械ですら無理です。

また、ひどい認知症の方は、自分が危険か安全かの管理ができなくなります
生活上の衛生管理、薬の服用、病気・けがをしているという自覚(「病識をもつ」という)の有無などが例として挙がります。
やっかいなのが、家族が危険だと促しても、本人は自覚が無いから怒ってしまう、という状況などです。

今回の件は徘徊によって鉄道の人身事故となってしまったわけですが、社会全体として安全を保つためには、認知症の方を施設に閉じ込めておく?
それも1つの方法でしょう

でもその施設は介護保険の施設なわけですが、
・業界自体にブラックイメージが定着している以上、施設職員のなり手は確保できるか?
・社会保障費や介護保険料が上がることにつながりかねない
・本人・家族の収入から利用料を払えるのか

などといった問題点があります。また、オモテには表れていませんが、この件は裏に家族が金銭的な問題を抱え、それが隠れていたのかもしれません(一部、本人家族は資産を結構持っているという情報はありますが)。

つまり、単純に考えるだけでは、実は状況改善に結びつかず、施設に閉じ込めておくことが最良策とは限らない、というわけです。

またこの判決、家族が免責されたわけですが、免責される基準がわからないなどといった賛否両論あります。私はこの基準不明という論理はいただけないと思っています。

なぜか。

通常であれば公共交通機関の輸送を妨害しないようにしなければならず、認知症が免罪符とはならないのは当り前、採りうる限りの身上監護がしっかり行われていなかった場合はむしろ賠償責任が課されるべきでしょう。
しかし、判決文全文を全文をご覧いただければと思いますが、本人の様子に合わせてできる限りの対策をやっていたか、というのが本件の免責の基準となるわけで、本件は家族が常識的な努力は行っていたことが明白です。

これが基準不明という論理はいただけないとする理由です。

ただ、要介護者の監督義務を負う家族は、これからは認知症の方に対して監督義務をどれだけ果たし、かつそれが証明できるかが大事になってくるでしょう。いや、本件をきっかけに重要視したほうがよさそうです。日記やケアプランや相談支援職の方々がまとめる記録類、侮れません。

また、国や社会が何とかしなければ、という意見が多いですが、私自身は単純にそれだけでは綺麗事だと思っています。
社会保障費は国も抑えたいとしているわけですし、介護保険サービスも利用にはあらゆる限界があることから、今後も認知症の方やその家族には身体的にも精神的にも金銭的にも、一定のレベルでやはり避けられないのが現実でしょう。

まずは金銭的な問題の改善の方法はないかな、ということで認知症の方の徘徊によって引き起こされる交通事故や鉄道の人身事故などに対して、保険制度あたりができたらいいな、と考えてみていたところ、自民党がその検討を始めるという情報を見ることができました。
また、ざっと調べたところ、あまり知られていないようではありますが、生命保険には重度認知症への支援も対象になるものも、数少ないながらあるようです。

すでに考えている人は考えている、というわけですね。

社会保障費の増額を抑えつつ、こういった事故に関して加害者・被害者双方が金銭的に救済される方法論として、この種の保険制度の周知と拡充を望みたいですね。

さて、文章を一通り書いて、

・老老介護と別居家族の身上監護の責任はだれが負うか
・同類の事故で輸送障害は発生した損害は誰が賠償すべきか
・賠償は本人・家族がする場合、一個人でできる範囲を著しく超えることが多いだろうが、それに対する支援策は?
・そもそも同類の事故が発生しないためにどうしたらよいのか

などを考え直してみました。

社会保障費は増やせない、事件・事故発生の金銭的救済策が十分でない、介護保険サービスの担い手の確保の問題があるなどなど、これからの超高齢化社会に立ち向かうにあたり、考えなけばならないことが多いことを思わされます。しかもこれらについてはすでに負のスパイラルに陥っていると感じるのは、私だけでしょうか。

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