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2009年8月2日 - 2009年8月8日

2009年8月 4日 (火)

総括~七戸十和田駅名問題

さて、数日明けましたが、前回の予告通り、今回は七戸十和田駅名問題を総括したいと思います。

東奥日報に掲載された年表を、新幹線八戸開業後以降を追記・抜粋・要約して、一連の流れをおさらいしますと・・・・・

05年7月 中野渡十和田市長が公の場で「十和田駅にしてほしい」と発言

06年5月 中野渡市長が「広域的な地域振興が図れる名前に」と「十和田」をアピール

08年1月 七戸町議会特別委が、駅名案について年内に意見集約する方針を申し合わせ

3月 中野渡市長が市議会で「十和田」名が入るよう協議継続を強調

9月 福士町長が取材に対し「『十和田』を入れたい」と意向を示す

10月 上十三地域広域市町村圏協議会が福士町長と中野渡市長の協議に一任し、「七戸・十和田」案の可能性が浮上

同月 福士町長が「JRへの要望は複数になってもいい」との見解

11月 中野渡市長と福士町長が、三村知事に「七戸十和田」とする上十三地域広域市町村圏協議会案を報告

同月 町議会特別委が「七戸」を採決

12月 町議会が「七戸」名を全会一致で可決

同月 福士町長が「町議会が『七戸』に決定」と三村知事に報告

09年1月 福士町長がJRに「七戸」「七戸十和田」の2案を提示、最終決定を委ねる

2月 町商工団体がJRに「七戸」と要望

7月 JRが「七戸十和田」に正式決定

となります。

さて、「七戸」案と「七戸十和田」案の2つがJR東日本に出され、後者が採用されたわけですが、ある掲示板では「七戸十和田案は地域エゴだ」という意見が出ました。

しかし、私は断言します。

この過程で決まった駅名は、決して地域エゴではないと。理由は全く難しくなく、JR東日本がこの2案をもと選んだ格好になっているからというものです。

駅名を選ぶのはあくまでも民間会社のJR東日本です。収益を追求する企業という観点から言うと、観光地として知名度が相当に高い「十和田」名は、利用客を増やすためのフレーズとしては使いたいもの。もしそれを覆すならば代案を立てるのが筋かと思います。

その辺をかつて私自身申し上げたことがありました。(↓)

http://seisyo-euro.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0aee.html

これは2案でJRに要望することになったときに書いた記事ですが、この時私は「単独名」を使うなら、「十和田」名を取っ払うに足ることをやる責任が生じたと述べました。しかし、「十和田」名を取っ払ってもメリットがあることを示すかと思いきや、それが無い、ここが単独名の限界かと思います。私は「単独名の方がいいぞ」とメリットを提示しなかった「七戸」案の商工会の動き方の方が、どちらかと言うと地域エゴという気がします。利用者を増やすことにつなげてナンボの駅名問題に対し、それとは直結しない「オラが町に新幹線駅ができる、そう決まってからの歴史は重い」ということを主張するだけでしたよね?

今回の駅名問題で感じるのは、自分達の町・街の限界を知ることってかなり大切であるという点です。実はこれは今の青森市にも言えること。

今回は七戸十和田駅の駅名問題の総括なので、詳しく述べるのはやめましょう。

※写真は後日。今回のテーマに相応しい写真を載せたいと考え中。

放っておき過ぎましたが、ということで8/17写真アップ。

H1608st ←七戸十和田駅、平成16年8月撮影。

ほぼ本線上から撮影。「写ルンです」で撮ったため、この距離だと今の軌道敷に入ってる位置だろうと。

当時からこれまで、「七戸(仮称)駅」だったり、仮称というのを暗黙の了解として「七戸駅」としたり、幾つかの表現が採られてたのを思い出します。

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