« 繋がりの無い活性化策 | トップページ | 「長野」の名を残すべきか否か? »

2009年3月12日 (木)

青森市は都市像を誤解している?

E954系(FASTECH360 S)が上越新幹線熊谷駅に出現ですと?

E954系が熊谷に来たという情報を得ましたが、果たしてこの先、新潟・軽井沢あたりまで乗り入れるか?ちょっと動向を見守りましょう。

して、今日の本題、青森駅の駅ビル関連の話題の続きです。

今回は今の中心市街地と活気がある地域の違いについて考察します。

皆さんご承知と思いますが、青森駅前と言えばかつて青函連絡船の中継地として発展してきました。簡単に言うと、連絡船に接続するのに一番合理的な条件だったわけですね。これが青函トンネル完成・津軽海峡線開業に伴う青函連絡船廃止の以後、中心街区としての活気が薄れ、後に登場した郊外型ショッピングセンター(以下、郊外型SC)によって客足が遠のいたというのが「基本的な一般論」かと思います。

ここで全国的にどういう見方をされているかを述べると、青森市が発展してきたのは交通機関の要衝だったというのがポイントで、「交通都市」という側面をもち、それに加えて青森県の行政拠点でもあるというのが青森市の特徴のようです。

私はこれに東京からの鉄道輸送というものを加え、青森市は鉄道によって成り立った交通都市と解釈しています。

さて、これに「時代の流れ」というのを加えて考えると、どうなるか?

鉄道貨物は青函連絡船・青森操車場という大規模施設の廃止通過効率の向上などで拠点性が失われ旅客については東北新幹線大宮-盛岡間開業後も在来線のスピードが長年放って置かれた青森市は、鉄道による東京方面とのつながりが希薄になってきます。いや、盛岡乗り換えの心理的抵抗が出た分考えようによってはつながりがさらに希薄に感じられたかもしれません。その間、本州-北海道間の旅客輸送は飛行機が主役となってしまいました。

敢えてかなり厳しい言い回しをしますが、時代の流れによって青森市は、東京-北海道間の中継地としての拠点性を持つ必要が無いというのが見抜かれそれが失われたのが現在の青森市の姿というわけで、私はなるべくしてなった結果と思います。

さて、青森市と青森県は新幹線に何を期待しているのか?新幹線もかなりの部分で合理的な乗り物なので、かつての青函連絡船時代の拠点性は望むべきではないと思います。

では、新幹線の開業に何を望むべきか?

私はとにかく交通が便利になるようにするのが青森市の役割と考えています。旅客や貨物が便利に通過できる都市、これが青森市に求められる姿と思うんですよね。

というわけで、無理矢理な理由をつけて現・青森駅前への人の流れを作り出すということは、青森市の発展の原点に背くことになります。

どうもこのところの動きを見ていると、その辺を勘違いしている気がするんですがね。

今日も荒川橋梁・高田高架橋平成19年9月撮影分の続き。

ただし場所はスカイブリッジ付近からです。

H1909

左が新青森方面、奥が七戸(仮称)・八戸方面ですが、高田高架橋→荒川橋梁→船岡高架橋→金浜高架橋→牛館川橋梁他→松森トンネルと続きます。

H1909_2 H1909_3

上の2枚は高田高架橋を中心に撮影。右がその拡大です。

拡大すると、路盤の勾配の様子が分かります。

|

« 繋がりの無い活性化策 | トップページ | 「長野」の名を残すべきか否か? »

趣味」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

政治」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 青森市は都市像を誤解している?:

« 繋がりの無い活性化策 | トップページ | 「長野」の名を残すべきか否か? »